企業にとって、従業員のメンタルヘルス対策は欠かせない取り組みとなっています。心身の不調は、個人の問題にとどまらず、生産性の低下や離職率の上昇、職場全体の雰囲気悪化など、企業経営にさまざまな影響を及ぼします。そのため近年では、多くの企業がメンタルヘルス対策に本格的に取り組み始めています。
しかし、「メンタルヘルス対策として具体的に何をすればよいのか分からない」「他社はどのような取り組みをしているのか知りたい」と悩む担当者も多いのではないでしょうか。制度や重要性は理解していても、実践に落とし込む段階で立ち止まってしまうケースは少なくありません。
そこで今回は、企業が実際に行っているメンタルヘルス対策の具体例や、効果を上げている企業事例を中心に紹介します。あわせて、メンタルヘルス対策に取り組むことで期待できる効果や、無理なく始められる施策の考え方についても解説します。
企業のメンタルヘルス対策が重要視される背景
企業のメンタルヘルス対策は、一部の先進的な企業だけの取り組みではありません。法制度の整備や社会的価値観の変化を背景に、すべての企業にとって避けて通れない経営課題となっています。
メンタルヘルス対策は個人の問題から企業の問題へ
かつてメンタルヘルスの不調は、「本人の気の持ちよう」や「個人の適応力の問題」と捉えられることが少なくありませんでした。しかし現在では、その認識は大きく変化しています。業務量や人間関係、職場風土など、企業側が整備すべき環境要因が従業員の心身の状態に大きく影響することが、広く知られるようになったためです。
働く環境によって生じたストレスや不調を、個人だけに負わせることは適切ではありません。企業には、従業員が健康的に働ける環境を整える責任があり、メンタルヘルス対策はその重要な一部と位置づけられています。
ストレスチェック制度の義務化と法的背景
2015年12月に施行された労働安全衛生法の改正により、常時50人以上の労働者を使用する事業場では、年1回のストレスチェック実施が義務化されました。50人未満の事業場についても努力義務とされています。
この制度の目的は、メンタルヘルス不調の早期発見と予防です。さらに、一定規模以上の事業場では、実施結果を行政に報告する義務も課されており、未提出や虚偽報告があった場合、行政指導や是正措置の対象となり、状況によっては罰則が科されることもあります。ストレスチェック制度は、企業が主体的にメンタルヘルス対策に取り組むきっかけとなりました。
安全配慮義務と労働トラブル
企業には、従業員の安全と健康に配慮する安全配慮義務があります。この義務は身体的な安全だけでなく、精神的な健康にも及びます。従業員のメンタルヘルス不調を把握しながら、適切な対応を怠った場合、企業が責任を問われる可能性があります。
近年では、メンタルヘルス不調を原因とした労働トラブルや訴訟が社会的にも注目されており、対応を誤ることで企業イメージが大きく損なわれるケースも見られます。こうしたリスクを回避するためにも、組織としてのメンタルヘルス対策が不可欠です。
職場におけるメンタルヘルス問題の主な原因
効果的なメンタルヘルス対策を行うためには、まず職場で不調が生じる原因を正しく理解することが重要です。多くのケースでは、複数の要因が重なり合って問題が発生しています。
ストレスの蓄積
職場におけるストレスは、メンタルヘルス問題の最も一般的な原因です。業務のプレッシャー、目標達成への不安、人間関係の摩擦など、日常的なストレス要因が積み重なることで、心身への負担が大きくなります。
特に、成果を求められる環境や変化の激しい職場では、ストレスが慢性化しやすく、本人も不調に気づかないまま状態が悪化するケースがあります。ストレスの蓄積は、早期に対処しなければ深刻なメンタルヘルス不調につながりかねません。
過度な労働・長時間労働
長時間労働や慢性的な残業も、メンタルヘルスに大きな影響を与えます。十分な休息が取れない状態が続くと、疲労が蓄積し、集中力や判断力が低下します。
その結果、業務効率が落ちるだけでなく、自己否定感や不安感が強まり、うつ病や不安障害などのリスクが高まることもあります。労働時間の適正管理は、メンタルヘルス対策の基本といえるでしょう。
職場環境の問題
メンタルヘルス問題の原因は、業務量や労働時間だけではありません。コミュニケーションが不足している職場や、上司からのサポートが得られにくい環境も、不調を招く要因となります。
また、テレワークの普及により、孤立感や疎外感を抱える従業員が増えている点も見逃せません。相談しづらい雰囲気や、心理的安全性が確保されていない職場では、ストレスが増幅しやすくなります。
職場におけるメンタルヘルス問題が与える影響
メンタルヘルス問題は、本人のつらさだけでなく、職場全体の生産性や人間関係にも大きな影響を及ぼします。早期に気づき、対策を講じなければ、組織全体のパフォーマンス低下につながりかねません。
個人への影響:生産性の低下、欠勤・休職の増加
メンタルヘルスの不調を抱えた従業員は、集中力や判断力が低下しやすくなります。その結果、業務のスピードや正確性が落ち、通常よりも時間がかかるようになることがあります。
また、不安や抑うつ状態が続くことで出勤が困難になり、欠勤や遅刻が増えるケースも少なくありません。状態が悪化すれば、長期の休職や退職に至る可能性もあります。個人の不調は、結果として周囲の業務負担を増やし、職場全体に影響を及ぼします。
組織全体への影響:コミュニケーション不全と満足度低下
メンタルヘルス問題が職場に広がると、組織全体にもさまざまな悪影響が現れます。ストレスを抱えた従業員が増えることで、情報共有が滞ったり、ちょっとした行き違いがトラブルに発展しやすくなります。
さらに、職場の雰囲気が悪化すると、従業員満足度やエンゲージメントが低下し、離職意向が高まる要因にもなります。メンタルヘルス問題を放置すれば、組織の一体感や信頼関係が損なわれ、長期的には企業の競争力低下につながるおそれがあります。
企業がメンタルヘルス対策に取り組むメリット
メンタルヘルス対策はコストではなく、企業の持続的成長を支える投資といえます。適切な取り組みを行うことで、組織全体に多くのプラス効果が期待できます。どのようなメリットがあるのか見ていきましょう。
休職・離職を防げる
心の不調を抱えたまま働き続けると、休職や退職につながることがあります。
厚生労働省の「令和6年 労働安全衛生調査(実態調査)」によると、過去1年間にメンタルヘルス不調により1か月以上休業したり退職した従業員がいた事業所は12.8%にのぼるという結果が出ています。
一度復職しても再発してしまうケースも少なくありません。
早い段階で職場のストレス要因を見直し、相談しやすい環境を整えることが、社員を守ることにつながります。
生産性の向上につながる
心が健康な状態だと、集中力や意欲が高まり、自然と仕事のパフォーマンスも向上します。
一方で、ストレスや疲れが溜まった状態では、判断力や創造力が落ちてしまいます。
職場環境の改善や相談体制の充実は、一人ひとりの力を引き出す生産性アップの投資とも言えるでしょう。
ミスやトラブルを防げる
メンタルヘルス不調は、思わぬミスや判断ミスの原因になることもあります。
従業員の心の状態をケアすることは、事故やトラブルを防ぐためのリスク対策でもあります。
社員の健康を守ることは会社を守ることにもつながるのです。
厚生労働省によるメンタルヘルス対策の基本:3段階の予防と4つのケア
厚生労働省の指針では、職場のメンタルヘルス対策を「3段階の予防」と「4つのケア」 という枠組みで整理し、体系的に進めることを推奨しています。
以下では、それぞれの考え方と具体的な内容について解説します。
参考:厚生労働省「労働者の心の健康の保持増進のための指針(概要)」
3段階の予防(一次・二次・三次)
職場のメンタルヘルス対策を効果的に進めるためには、状況に応じた段階的な対応が欠かせません。厚生労働省では、メンタルヘルス対策を「一次予防」「二次予防」「三次予防」の3段階に整理し、それぞれの段階で適切な取り組みを行うことを推奨しています。
不調を未然に防ぐことから、早期発見・対応、そして復職支援や再発防止までを一連の流れとして捉えることで、従業員が安心して働き続けられる職場環境づくりにつながります。
一次予防(未然防止)
一次予防は、メンタルヘルス不調を発生させないことを目的としています。労働時間の適正化や職場環境の改善、ストレスチェック制度の活用などが代表的な取り組みです。また、セルフケアに関する教育やストレスマネジメント研修を通じて、従業員が自分のストレスに気づき、早めに対処できるようにすることも重要です。
二次予防(早期発見・早期対応)
二次予防は、不調が生じた際に早期に気づき、重症化を防ぐことを目的としています。そのために、相談窓口の整備や上司・同僚が変化に気づきやすい職場風土の醸成が求められます。従業員が相談しやすい環境を整えることで、早期の声かけや支援が可能となり、休職や離職を未然に防ぐことができます。
三次予防(復職支援・再発防止)
三次予防は、休職した従業員の職場復帰を支援し、再発を防止することを目的としています。復職時には、勤務時間や業務内容の調整、産業医や主治医との連携が欠かせません。職場復帰支援プログラムを整備し、個々の状況に合わせた段階的な支援を行うことで、安心して働き続けられる環境を整えることができます。
4つのケア
厚生労働省は、職場でのメンタルヘルス対策を進めるにあたり、「セルフケア」「ラインによるケア」「事業場内産業保健スタッフ等によるケア」「事業場外資源によるケア」という4つのケアを、継続的かつ計画的に実施することが重要であるとされています。
これらは、それぞれ異なる立場や役割から労働者の心の健康を支えるものであり、相互に補完しながら取り組むことが求められます。以下では、それぞれのケアの内容について順に解説します。
① セルフケア
セルフケアは、従業員一人ひとりが自分のストレスや心身の変化に気づき、適切に対処することを指します。ストレスチェック制度やセルフケア研修の実施は、従業員が自分の状態を把握し、健康を維持するきっかけになります。
② ラインケア(管理職によるケア)
ラインケアは、管理職が部下の変化に気づき、早期に声をかけて支援することを意味します。管理職は日常的に部下と接する立場にあるため、最も早く異変に気づくことができます。管理職研修やメンタルヘルス教育を通じて、適切な対応方法を学ぶことが効果的です。
③ 産業保健スタッフ等によるケア
産業医や保健師、人事担当者などが専門的な立場で従業員の健康を支援することを指します。個別相談や職場環境改善の提案、復職支援などを通じて、職場全体のメンタルヘルスを支える役割を担います。
④ 事業場外資源によるケア
事業場外資源によるケアは、外部の医療機関やカウンセリング機関、外部EAP(従業員支援プログラム)などを活用して支援を行うことです。社内では相談しにくい悩みでも、外部の専門家に安心して相談できる体制を整えることが大切です。
一次予防で不調を未然に防ぎ、二次予防で早期に対応し、三次予防で再発を防ぐことが重要です。さらに、セルフケア・ラインケア・産業保健スタッフ等によるケア・事業場外資源によるケアを組み合わせることで、多面的で実効性のある職場づくりが可能になります。
メンタルヘルス対策は、従業員が安心して働ける環境を整えるだけでなく、企業全体の生産性向上や組織の安定にもつながる取り組みです。
企業によるメンタルヘルス対策の具体例
厚生労働省の「労働者の心の健康の保持増進のための指針」では、職場のメンタルヘルス対策として、教育研修・職場環境の改善・不調への早期対応・復職支援の4つを中心に進めることが推奨されています。
企業が主体的に取り組むことで、従業員の心の健康を守り、生産性や定着率の向上にもつながります。
外部講師によるメンタルヘルス研修の実施
従業員や管理職がメンタルヘルスに関する正しい知識を身につけるために、外部講師を招いた研修を行うことが効果的です。研修を通じて、ストレスの仕組みや不調のサイン、適切な相談のタイミングなどを学ぶことができます。
特に管理職向けのラインケア研修では、部下の変化に気づくポイントや声かけの方法、相談対応の基本などを学びます。これにより、職場での早期発見と適切な対応が可能になり、管理職自身のマネジメント力の向上にもつながります。
また、一般従業員向けのセルフケア研修を行うことで、従業員が自分のストレスに気づき、早めに対処する力を身につけることができます。研修内容をeラーニングや動画教材として継続的に提供すれば、学びを日常に定着させることも可能です。
ストレスチェックの実施と結果の活用
ストレスチェックは、メンタルヘルス不調の予防や早期発見のための重要な仕組みです。
2015年12月に施行された労働安全衛生法の改正により、常時50人以上の労働者を使用する事業場では、年1回のストレスチェック実施が義務化されました。従業員50人未満の事業場については努力義務とされてきましたが、2025年5月の法改正により、今後は義務化される予定であり、施行は最長で2028年までとされています。
詳しくはこちら→ストレスチェック50人未満の中小企業にも義務化へ!時期・実施方法について解説【労働安全衛生法改正】
ストレスチェックの目的は、単に結果を出すことではなく、職場環境の改善に活かすことにあります。個人結果を活用するだけでなく、部署や職種ごとに集団分析を行うことで、業務負荷や人間関係などの課題を明確にできます。
分析結果をもとに、業務配分の見直しや残業削減、コミュニケーション促進策などを検討することで、一次予防(未然防止)としての効果を高めることができます。
相談窓口の設置と周知
従業員が安心して相談できる窓口を設置することも重要です。改正労働施策総合推進法(通称:パワハラ防止法)では、ハラスメントを含む職場の相談窓口設置が義務化されています。メンタルヘルス相談窓口を設置し、社内報や掲示物などで周知することがポイントです。
相談窓口には、産業医や保健師、人事担当者などが対応するケースのほか、外部カウンセラーや専門機関を活用する方法もあります。社外窓口を設けることで、社内では話しにくい悩みも相談しやすくなり、早期対応につながります。
産業医との連携による健康相談体制の構築
産業医と連携して健康相談窓口を設けることで、専門的な助言や対応が可能になります。産業医は労働安全衛生法に基づき、職場の健康管理やメンタルヘルス指導を担う専門家です。
定期的に相談日を設けたり、オンライン相談を導入したりすることで、従業員が気軽に相談できる体制を整えることができます。相談内容をもとに、職場環境の課題を把握し、改善策を検討することも効果的です。
また、相談者のプライバシーを保護し、匿名で相談できる仕組みを導入することで、利用率を高めることができます。相談体制を整備することは、従業員の安心感と信頼感を高める重要なステップです。
EAP(従業員支援プログラム)の導入
EAP(従業員支援プログラム)は、従業員が外部の専門家に気軽に相談できる仕組みです。心理カウンセリングや法律・財務相談、医療相談など幅広いサポートを受けることができ、社内で対応しきれない問題にも対応できます。
EAPを導入することで、従業員が社内の人間関係を気にせず安心して相談できるようになります。また、夜間や休日など勤務時間外でも相談できるサービスを導入すれば、より多くの従業員が利用しやすくなります。
さらに、EAP事業者によるセミナーや職場改善提案を活用することで、一次予防(未然防止)から三次予防(再発防止)まで幅広い支援が可能になります。
企業によるメンタルヘルス対策の取り組み事例
企業のメンタルヘルス対策は、業種や規模、職場環境によって課題や進め方が異なります。 厚生労働省が公表している「事業場におけるメンタルヘルス対策の取組事例集」では、 さまざまな業種・規模の企業が、現場の実情に合わせて工夫を重ねながら メンタルヘルス対策に取り組んでいる事例が紹介されています。
ここでは、同事例集をもとに、課題・取組内容・結果・業種の視点で、 企業の具体的な取り組みを分かりやすく整理して紹介します。
経営層が主導し、方針や計画を明確にした事例
| 課題 | 取組内容 | 結果 | 業種 |
|---|---|---|---|
| メンタルヘルス対策が現場任せになっていた | 経営理念に「心身の健康」を明記し、経営トップが全社へ方針を発信 | 経営課題として認識が共有され、社員の安心感が高まった | IT産業・小規模 |
| 取組が単発で終わり、継続性に欠けていた | 心の健康づくりに関する3か年計画を策定し、管理職へ周知 | 中長期的な視点で施策が進み、部門ごとの取組が定着 | 倉庫業・中規模 |
評価・見直しを行い、対策の質を高めた事例
| 課題 | 取組内容 | 結果 | 業種 |
|---|---|---|---|
| 対策の効果が分かりにくかった | 高ストレス者数や休職者数などの指標を設定し、定期的に評価 | 課題が可視化され、優先的に取り組む施策を整理できた | 運輸業・大規模 |
| 対策が形骸化していた | 労働安全衛生マネジメントシステムに沿ってPDCAを運用 | 毎年の見直しが定着し、継続的な改善につながった | IT産業・小規模 |
労働時間管理や職場環境の改善に取り組んだ事例
| 課題 | 取組内容 | 結果 | 業種 |
|---|---|---|---|
| 長時間労働や疲労の蓄積 | 勤務間インターバル制度を導入し、職種特性に配慮して運用 | 睡眠時間が確保され、働きやすさが向上 | IT産業・小規模 |
| 部署・世代間の交流不足 | リフレッシュルームを設置し、部署横断の交流を促進 | 自然な会話が生まれ、職場の雰囲気が改善 | 倉庫業・中規模 |
相談体制や研修を強化した事例
| 課題 | 取組内容 | 結果 | 業種 |
|---|---|---|---|
| 相談窓口が利用されにくかった | 人事部から独立した相談窓口を設置し、専門資格を持つ担当者を配置 | 相談件数が増加し、早期対応が可能になった | IT産業・小規模 |
| 特定の時期に不調者が集中していた | 不調が出やすい時期に研修を集中的に実施 | セルフケア意識が高まり、相談につながりやすくなった | 物流会社・大規模 |

事業場におけるメンタルヘルス対策は、特定の制度を導入するだけでは十分とはいえません。 経営層の姿勢、現場の声の反映、労働時間管理、相談体制、コミュニケーションの工夫などを 組み合わせ、継続的に取り組むことが重要です。
おわりに
メンタルヘルス対策は、一度きりの施策ではなく、継続して育てていく企業文化そのものです。
小さな取り組みの積み重ねが、従業員の安心と組織の信頼を築いていきます。
今日からできることを一歩ずつ始めて、誰もが健やかに働ける職場づくりを目指していきましょう。






