近年、接客やサービス業を中心に「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が社会問題として注目されています。
商品やサービスに対するご意見やご要望は、企業にとって大切なフィードバックですが、その一方で、過度な要求や威圧的な言動など、業務の適正な範囲を超えた行為が増加傾向にあります。
こうしたカスハラは、現場で働く従業員の心身に大きな負担をかけるだけでなく、企業全体の士気や業務運営にも悪影響を及ぼす可能性があります。
本記事では、厚生労働省のマニュアルをもとに、カスハラの定義や代表的な事例、そして企業として講じるべき対策についてわかりやすく解説します。
なぜ今、カスハラ対策が求められるのか
カスタマーハラスメント(カスハラ)は、顧客による暴言や過剰な要求、理不尽なクレームなどにより、従業員が精神的・身体的な苦痛を受ける深刻な問題として、近年注目を集めています。特にサービス業や医療機関、教育現場など、対人対応を伴う現場では、日常的にリスクが伴う状況が続いています。
またSNSなどによる情報の拡散スピードの増加、そして顧客の「過剰な正義感」などもその背景として挙げられるでしょう。実際に、厚生労働省の調査によれば、接客・販売業に従事する人の約7割が「不当な要求」や「人格を否定するような言動」を受けた経験があると答えています。
こうした背景を受け、2025年6月4日、カスハラ対策を企業や自治体に義務付ける改正労働施策総合推進法が参議院本会議で成立しました。これは、カスタマーハラスメントの防止を目的とした対策が法的に位置づけられた初の法律です。
今後、国が示す指針に基づき、企業には以下のような取り組みが求められる見込みです。
- 社内マニュアルの整備と対応手順の明確化
- 労働者が相談しやすい体制の構築と周知
- カスハラを抑止する措置の導入
- フリーランスへの対応も視野に入れた検討
この法改正により、企業のカスハラ対策は「努力義務」から「実施すべき対策」へと大きく転換されることになります。
また、従業員へのハラスメント行為に対して、企業が適切な対応を怠った場合には、企業側が損害賠償責任を問われるリスクも存在します。実際に、ある学校では、保護者から教員に対する理不尽な言動を放置したことで、管理職が訴訟の対象となった事例もあります。
カスハラ対策は、従業員の安全と健康を守るだけでなく、企業のリスクマネジメントや持続的な組織運営にとっても欠かせない取り組みとなってきています。
加えて、厚生労働省が2020年度に実施した「職場のハラスメントに関する実態調査」でも、カスハラが拡大傾向にあることが明らかになっています。
調査から見える現場の声
2022年に厚生労働省が策定した「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」では、令和2年度に実施された「職場のハラスメントに関する実態調査」の結果が引用されています。この調査結果から、企業・労働者の両面で、カスハラの深刻化が浮き彫りになっています。
企業側の状況
企業を対象に行われた調査では、過去3年間に相談があったハラスメントの種類として、以下のような傾向が見られました
- パワーハラスメント:48.2%
- セクシュアルハラスメント:29.8%
- カスタマーハラスメント(顧客等からの著しい迷惑行為):19.5%
この結果からも、カスハラが企業にとって無視できない課題となっていることがわかります。
さらに、過去3年間の相談件数の推移では、カスハラのみが「増加している」と回答した企業(3.8%)が「減少している」(2.2%)を上回っており、増加傾向にあるハラスメントとして注目されています。
また、過去3年間にカスハラの相談があった企業のうち、実際に該当事案があったと答えた割合は92.7%に達し、実際の発生率も非常に高いことが示されています。
該当件数の推移についても、「件数が増加している」(19.4%)という企業の方が「減少している」(12.1%)と回答した企業より多く、カスハラが拡大傾向にあることがうかがえます。
労働者側の状況
労働者を対象とした調査では、20〜64歳の男女のうち、過去3年間に勤務先でカスハラを一度以上経験した人の割合は15.0%という結果でした。
これは、パワハラ(31.3%)よりは少ないものの、セクハラ(10.2%)を上回っており、非常に多くの人がカスハラ被害に直面している現状を表しています。
受けたカスハラ行為の内容として多かったものは以下の通りです。
- 「長時間の拘束や同じ内容を繰り返すクレーム(過度なもの)」:52.0%
- 「名誉毀損・侮辱・ひどい暴言」:46.9%
これらの行為は、精神的な負担が大きく、場合によっては長期的なメンタルヘルス不調を引き起こすこともあるため、企業としての早急な対応が求められています。
カスハラの具体的な事例
厚生労働省が策定した「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」(2022年2月)では、カスタマーハラスメント(カスハラ)について、明確な定義は困難としながらも、企業の現場における実態を踏まえ、以下のように整理されています。
顧客等からのクレーム・言動のうち、「要求の内容の妥当性」に照らして、
その実現手段・態様が社会通念上不相当であり、その結果として労働者の就業環境が害されるもの
(※就業環境とは、心身の苦痛や尊厳の侵害など、能力発揮に支障が出るレベルを指します)
つまり、カスハラとは「内容が不適切な要求」または「手段・態度が過剰・不相当な要求」によって、従業員の働く環境を著しく悪化させる行為を指します。
たとえ要求内容に一部の正当性があっても、言い方や態度が度を越えていればカスハラに該当する可能性があるという点が重要です。
顧客等には、すでに商品・サービスを利用した人だけでなく、将来的に利用する可能性のある潜在的な顧客も含まれます。また、要求の内容がたとえ妥当であっても、その手段や態度が過剰・悪質であれば、カスハラに該当することがあります。
「顧客等の要求の内容が妥当性を欠く場合」や、「要求を実現するための手段・態様が 社会通念上不相当なもの」の例としては、以下のようなものが想定されます。
「顧客等の要求の内容が妥当性を欠く場合」の例
-
企業の提供する商品・サービスに瑕疵・過失が認められない場合
-
要求の内容が、企業の提供する商品・サービスの内容とは関係がない場合
「要求を実現するための手段•態様が社会通念上不相当な言動」の例
要求内容の妥当性にかかわらす不相当とされる可能性が高いもの
- 身体的な攻撃(暴行、傷害)
- 精神的な攻撃(脅迫、中傷、名誉毀損、侮辱、暴言)
- 威圧的な言動
- 土下座の要求
- 継続的な(繰り返される)、執拗な(しつこい)言動
- 拘束的な行動(不退去、居座り、監禁)
- 差別的な言動
- 性的な言動
- 従業員個人への攻撃、要求
要求内容の妥当性に照らして不相当とされる場合があるもの
-
商品交換の要求
-
金銭補償の要求
-
謝罪の要求(土下座を除く)
すなわち、カスハラに該当するのは、①顧客の要求自体が企業の責任範囲を超えている場合や、②要求の伝え方・手段が暴力的・威圧的・執拗など、社会的に許容される範囲を明らかに逸脱している場合です。
また、たとえ要求内容に一定の妥当性があったとしても、対応する従業員の心身に深刻な負担を与えるような手段で行われれば、それはカスハラとみなされる可能性が高くなります。
カスハラの具体的な事例
厚生労働省が策定した「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」では、企業12社へのヒアリング調査を実施し、実際に現場で発生しているカスタマーハラスメントに類する行為が多数報告されています。
カテゴリ | 具体的な行為 |
---|---|
時間拘束 | 一時間を超える長時間の拘束、居座り 長時間の電話 時間の拘束、業務に支障を及ぼす行為 |
正当な理由のない過度な要求 | 言いがかりによる金銭要求 私物(スマートフォン、PC等)の故障についての金銭要求 遅延したことによる運賃の値下げ要求 難癖をつけたキャンセル料の未払い、代金の金銭要求 備品を過度に要求する(歯ブラシ10本要望する等) 入手困難な商品の過剰要求 制度上対応できないことへの要求 運行ルートへのクレーム、それに伴う遅延への苦情 契約内容を超えた過剰な要求 |
リピート型 | 頻繁に来店し、その度にクレームを行う 度重なる電話 複数部署にまたがる複数回のクレーム |
暴言 | 大声、罵声で執拗にオペレーターを責める 店内で大声を出すなど秩序を乱す 大声での恫喝、罵声、暴言の繰り返し |
対応者の揚げ足取り |
電話対応での揚げ足取り |
コロナ禍に関連するもの | マスク着用、消毒、窓開けに関する強い要望 マスクをしていない人への過度な注意の要望 顧客のマスクの着用拒否 |
脅迫 | 脅迫的な言動、反社会的な言動 物を壊す、殺すといった発言による脅し SNSやマスコミへの暴露をほのめかし脅す |
セクハラ | 特定の従業員へのつきまとい 従業員へのわいせつ行為や盗撮 |
権威型 | 優位な立場にいることを利用した暴言、特別扱いの要求 |
SNSへの投稿 | インターネット上の投稿(従業員の氏名公開) 会社・社員の信用を毀損させる行為 |
その他 | 事務所(敷地内)への不法侵入 正当な理由のない業務スペースへの立ち入り |
引用 カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(厚生労働省)
カスハラの判断基準
カスタマーハラスメント(カスハラ)の判断基準は、業種や業態、企業文化によって異なることが少なくありません。たとえば、一定のレベルを超えた顧客の行為に対して毅然と対応する企業がある一方で、顧客第一主義のもと「お客様が納得するまで対応する」という方針を掲げる企業も存在します。
このような違いがあるからこそ、各企業があらかじめカスハラの判断基準を明確に定め、社内の対応方針を統一して現場と共有しておくことが重要です。
判断の目安として、以下の2つの視点が基本となります。
① 顧客の要求内容に妥当性があるか
まず、顧客の主張が妥当かどうかを確認します。具体的には、事実関係や因果関係を調べ、自社に過失や不備があったのか、顧客の要求に根拠があるのかを見極めます。
たとえば、商品に明らかな不良やサービス提供にミスがあった場合は、謝罪や返金・交換などで誠実に対応するのが妥当です。
一方で、商品の瑕疵や自社の過失が見当たらない場合、その要求には正当性がないと判断できます。
② 要求を実現するための手段・態様が社会通念上相当か
次に、顧客の要求を伝える際の態度や手段が社会通念上許容される範囲かどうかを確認します。
たとえば、長時間にわたるクレーム対応によって業務に支障が出るような場合、その行為は相当性を欠くと考えられます。
また、顧客の要求内容に一定の妥当性があったとしても、暴力的・威圧的・差別的・執拗・拘束的な言動が伴えば、社会通念上不相当とされ、カスハラに該当する可能性が高くなります。
逆に、要求内容に妥当性がない場合であっても、企業が要求を拒否した際に顧客が速やかに引き下がった場合などは、従業員の就業環境が害されたとはいえず、カスハラには該当しないこともあります。
判断に迷う場合の基本方針
- 顧客への説明責任を十分果たしたうえで、納得いただけない場合にカスハラと判断する
- 商品やサービスの提供に不備があったかどうかを基準とする
このように、カスハラの判断は単に「顧客が不満を言ったかどうか」ではなく、その要求が妥当かどうかと、 その伝え方や態度が適切かどうかの両方をしっかり見極める必要があります。
さらに、どのような場合であれ、従業員の就業環境が害され、業務に支障が生じている場合は、企業として相談窓口の設置や複数名での対応、管理職の介入など適切な措置を講じることが求められます。
カスタマーハラスメント対策
カスタマーハラスメント(カスハラ)への対策は、単にその場の対応だけでなく、事前の準備、実際の対応、再発防止まで一貫した仕組みを整えることが重要です。ここでは、企業が取り組むべき具体策を事前準備と発生時対応に分けて解説します。
カスハラを想定した事前の準備
カスタマーハラスメントの発生を防ぎ、万一の際にも適切に対応できるよう、企業が日頃から備えておくべきポイントを解説します。
基本方針・基本姿勢の明確化と周知
企業トップは、カスタマーハラスメントを許さず従業員を守る方針を明確にし、その姿勢を社内外に発信することが求められます。基本方針には次のような要素を盛り込むと効果的です。
- カスハラは企業にとって重大な問題であること
- カスハラを放置せず、毅然とした態度で対応すること
- 従業員の人権・尊厳を守ること
- 異常な要求や言動を受けた場合、必ず相談・報告すること
このような方針を定め、従業員に安心感を持たせ、現場での声を上げやすい環境づくりにつなげます。
相談対応体制の整備
従業員がカスハラを受けたときに相談できる窓口や担当者を明確化し、社内に周知しておきます。相談は、発生した場合だけでなく、発生の恐れがある場合や判断に迷う場合も含め、幅広く対応できる体制とします。
- 社内のハラスメント窓口やヘルプラインで対応可能に
- 法務・人事・外部の弁護士などと連携できる体制を構築
- 相談担当者向けに定期研修を実施し、適切な初期対応力を養う
対応方法・手順の策定
カスハラの初期対応手順や顧客対応の指針を社内で整備し、従業員に教育します。
- 各パターン(長時間拘束型、リピート型、暴言型など)の対応例を用意
- 現場従業員が小規模店舗や単独対応の際でも落ち着いて対応できる基本手順を共有
- 複数名での対応を基本とし、管理職や責任者が必要に応じて現場に介入する仕組み
カスハラ発生時の対応
実際にカスタマーハラスメントが発生した場合、事実確認から従業員の保護、適切な顧客対応まで、一貫した対応が求められます。その具体的な方法を解説します。
事実確認と適正対応
- 証拠(録音・録画・メモなど)を基に事実関係を正確に確認
- 瑕疵や過失があれば謝罪・補償、なければ毅然と要求を拒否
- 必要に応じて弁護士・警察と連携
従業員への配慮と支援
- 複数名・組織的な対応で従業員を一人にしない
- メンタルヘルス不調リスクへの対応(産業医・カウンセラー活用)
- プライバシー保護・不利益取り扱い禁止の徹底
再発防止への取り組み
- 定期的なルール・体制の見直しと改善
- トラブル事例の社内共有による学びの強化
- 継続的な研修・啓発活動
初期対応の具体例(代表的なパターン別)
カスハラの代表的なパターンごとに、企業が現場で実践できる初期対応の例を紹介します。
ハラスメントの種類 | 初期対応例 |
---|---|
長時間拘束型 | 応じられない理由を説明し退去や通話終了を求める。必要に応じて弁護士や警察へ相談。 |
リピート型 | 繰り返しに対しては毅然と「対応できない旨」を伝え、記録を残し、窓口を一本化。 |
暴言型 | 退去を求め、録音を残す。必要に応じて管理職が対応。 |
暴力・脅迫型 | 安全確保を最優先し、複数名で対応。直ちに警察に通報。 |
SNS誹謗中傷型 | 削除依頼や発信者情報開示を求める。弁護士・警察と連携。 |
セクハラ型 | 証拠を残し、施設出入り禁止等の措置。繰り返しなら法的対応を検討。 |
このように、事前準備から発生時の対応、再発防止まで一貫した対策の実施が企業に求められます。各社の業態・文化に合わせた具体的なマニュアル化と現場教育が、従業員を守る第一歩となります。
おわりに
カスタマーハラスメント対策は、単なる顧客対応の一環ではなく、従業員の安心・安全な職場環境を守るための重要な経営課題です。従業員が心身ともに健康に働ける環境があってこそ、質の高いサービスや顧客満足が実現されます。
企業としては、カスハラに毅然と向き合う姿勢を示し、事前の準備から現場での対応、そして再発防止まで一貫した取り組みを進めることが求められます。特に、トップが明確な方針を示し、組織として従業員を守る姿勢を発信することは、現場での自信や安心感につながります。
参照
カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(厚生労働省)